Festina lente

気が向くままに、考えごとの適当な記録処。

リメンバーミーへのもやもや。許しと否定と愛、居場所の話。

だいぶ久々に、長文感想を書きたくなった。

吹き替えを見てきた。ミゲルの歌をぜひ映画館で聞きたいという目的があったから満足したし、ミゲルの「リメンバーミー」に涙したのだけど、何かもやもやしたので。


主人公ミゲルの今しか聞くことのできない少年の声が美しくて、歌を聴くだけで胸がいっぱいになるし、死者の国や死者たちの動きが面白かった。死者の国がまるで生者の社会と一緒で、残業とか仕事とかは嫌だなとも思った。
大どんでん返しと美しい歌。生者の世界に戻っての、ハッピーエンド。
さすがピクサー、起承転結もキャラクターの成長もあって、気持ち良いくらい。
だったというのに、どうしてもしこりが残ってしまった。「もやもやして、きもちわるい」と思ってしまった。
面白さと気持ち悪さに混乱してるときに、この感想に出会った。

wataridley.com

以下、「もやもやの正体はなんだ…」っていうだけの「粗探し」(by↑の感想)なので、否定的な感想&全力ネタバレです、注意。物語としては周囲に薦めるくらい面白いと思ってる、念のため。

 

 


感想読んで、最初は納得した。けれど、私は別に家族で完結する話というだけで、気持ち悪さは感じないと思う。ただ、間違いなく、ここに書かれているとおり、「夢追いに家族の承認が必要なこと」「誤解が解けた後に音楽を否定してきたことへの後悔や謝罪の描写がなかったこと」が、私にとっての気持ち悪さだ。間違いなく、理由の一つは、「エレナ(祖母)による音楽忌避の強制」。でも、やはり家族の問題だからなのか?
違う。
 
一番の気持ち悪さは、この世界が、「価値観の異なる存在を否定することを【正しい】とする世界」だからだ。

最初、ミゲルは大家族のなかで一人だけ音楽が好きな、ひとりぼっちの男の子だ。自分の理解者になって、音楽を好きなまま生者に戻れるのは「祖父であるらしいデラクルス」に許しを得ることだと考え、死者の国で逃避行を開始する。
イメルダとの対話の中でも、「音楽を手放すくらいなら、家族なんていらない」とまで言い放つ。
そのミゲルが、家族の大切さを感じ、家族のもとに戻れるなら音楽を二度とやらないという約束を結ぶことを受け入れようとする。
結局、イメルダが条件なしで家族の元に返すことで、音楽を続けることができたし、音楽を通して家族の絆はさらに強固になった。めでたしめでたしの物語。
 
でも、家族は本当にころりと音楽を受け入れるようになるのだろうか。その中に、「音楽はダメと言いつけられ続けて、みんなが音楽を受け入れ、それで一部の生計を立てている中で疎外感を覚えている人は、本当にいないのだろうか。
 
結局、エレナはミゲルに「ミゲルがやりたいと言い続けたことを否定し続けたこと
を後悔する姿はなかった。
エレナが、ココが歌い、エレナを認識する様子に涙し、そうして音楽を受け入れるようになる、その過程は悔い改める、ということなのだろう。もしかしたら、絵描かれていない裏側で、エレナはミゲルに謝ったかもしれない。今まで、音楽をダメなものだといい続けてごめんねって。
 
けれど、「あなたの好きなものを否定し続けてごめんね」ではないのだ。家族ではなくても良い。会社でも、学校でも。趣味の関係性で、その趣味が嫌いになったら、そこがつながりだから、否定し、その関係性を断ち切るのもわかる。断ち切りたくないからと、引き留めようとするのもわかる。
家族であれば、そのつながりは、血縁関係だ。価値観ではない。ある程度同一の価値観にはなるけれど、決して好きだから、つながったわけではない。会社で、価値観が違う人とでも仕事ができるのと同じだ。学校で、違う価値観でも同じ空間で勉強するのと同じだ。
受け入れられないことも、あるかもしれない。それが、エレナにとっては音楽だったのかも。
けれど、自分と違うことを、「あなたのため」といって、強要するのは、きもちわるい。
「やっぱり家族が大事」と、強い言葉でいうのならば洗脳されてしまうミゲルも。今後、家族に音楽が苦手なこどもがいて、その子が「音楽は嫌い、やりたくない」と言ったら、「音楽のおかげで僕たち家族は結びついたんだよ。僕は死者の世界にも行ったんだ。君も、家族なんだから音楽をやらなきゃ」とか言いだしそう。
善意だからこそ、こわい。
家族だからこそ、自分が所属する世界には、認めてほしいし、ミゲルの環境は理想的だ。家族愛も音楽愛も手に入れました。ハッピーエンド。だからこそ、せめて「認めなかったこと」を後悔してほしかった。せめて、序盤が、「もう、なんで音楽なんて好きなの」「だって好きなんだもん」って、あいつ音楽なんてもの好きなんだって変なの、というだけで、好きなものとふれあいたいというミゲルを認めている描写であれば、違ったのだけど。まあ、それだとカタルシスも出ませんし、この陽気な南米の熱い繋がりを描くには少々物足りなくなってしまうのだろうな。難しいね。
 
 
そして、2つ目の気になること。それが、さっきリンクした感想にもあった、「家族以外の大切な人との絆の薄さ」。ついでに3つ目、芸能人に対する一般人の軽薄さ。3つ目は、単なる苦手要素というだけで、よくある描写だなあとは思うのだけど。ちょっと重なると辛かった。
 
家族以外で大切なひと、ヘクターにとってのチチャロンくらい? とても良いシーンだったし、そこがあるから救われる。家族の大切さを描くのだから、その他が薄くなるのは仕方ない。
けれど、私はデラクルスに共感してしまった。苦手度が上がったのはそのせいだろう。家族以外の登場人物で、「家族以外」の大切な人を作っていたのは、彼くらいだった。デラクルスにとっての大切な人をヘクターとするのは、ちょっと解釈が分かれるところだけど、最低限、音楽を産むために「必要」だとは感じていたと思う。一緒に夢を追う友人がいて、ヘクターが彼にとって大切な人で。その彼に裏切られたと思ったから、殺してしまったのでは。決して良いことではないけれど。もうちょっというと、本当に殺したのかちゃんと書かれてないとは思うけれど、そこはディズニー映画として殺人者という悪人ではあるだろう。そうでなければ、救われない。あと吹替えでしか見てないので、もしかしたらヘクターらを閉じ込めようとするシーンで言ってたかもしれない。
 
ただやっぱり、デラクルスは「殺した」と「自白」はしていないと思う。少なくとも、公の場では。だから、3つ目、他者からの証言だけでデラクルスに物を投げつける観客が、正直一番きつかった。それまで好きだったんでしょうって。名も知らない誰かが「俺はあいつに陥れられた、殺されたんだ」と言って、あのひと幕があった、それだけで掌返せるし、他人を叩けるんだなあって。
そういう、目立つ人に対する一般人のスタンスが苦手ということもあり、そこが一番のカタルシスを得るであろう盛り上がりの部分だったから、余計に苦手になってしまったのかもしれない。
貴方たちにデラクルス、何か悪いことした?
「犯罪者かもしれない」という理由だけで、簡単に人に物を投げつけるの?
と、ついつい、正義によって断罪する大勢の人間(に思えてしまって)に対する忌避感を感じてしまった。
ラクルスに共感したのが主な原因だが、これが嫌いなキャラに対してでも、嫌な気持ちにはなったと思う。ヘクターに、「あいつに被害を受けたのは俺で、俺だけがあいつを罰していい、他の奴は許さん」って言って欲しいけど、主人公も物語も変わってしまうな。
 
ついデラクルスの気持ちになってしまうけれど、彼が「ヘクターの書いた歌」に魅せられた人だとしたら、とても可哀そうな人だと思う。デラクルスも、同じだったのかもしれない。そして、彼ら二人、どちらが有名になりたい、音楽という夢を追いたいと最初に思ったのか。それは、描かれていない。
ラクルスに乗せられたのかもしれないし、ヘクターが言い出したのかもしれない。あるいは、もともと夢追い人として、とても仲が良かったのかもしれない。わからないけれど、一方的に断罪される悪役には思えなかった。
いっそ、美女と野獣のガストンくらいに、突き抜けてくれたらいいのに。彼は彼で戦争被害者を思わせる描写はあったけれど、それはそれとして彼は「悪役」として大層、魅力的だったし、彼がひどい目に合うシーンにはカタルシスもあった。
 
「私の孫」といって大喜びしたデラクルスは、ミゲルがヘクターの孫と気づかなかった辺りからして、本当にうれしかったんじゃあないかなあ。たくさんの女性と関係を持っていたら、家族を捨て夢を追った彼も、子孫がいてもおかしくない。家族が他のどんな絆より優先されるこの物語では、デラクルスは寂しいひとだった。
 
アレブリヘのチワワみたいに。
色んな愛に包まれても、贈り物に包まれても、家族がいないなら、さびしいひと。
つい、外の世界で写真を飾ってもらえない人たちは死者の世界で家族ごっこをするように。
 
 
 
 
アナ雪の時も「え、ハンスが敵なの…いや、こずるいけど、断罪されるほどのことしてないよね…いっそエルサと政略結婚して国家繁栄させる2がほしい」などと思ったので、ピクサーの描く敵が、合わないのかもしれない。
 
しかし、本当に歌が良かったので…また聞きたいのも本当…サントラを買おうか迷い中。本当にミゲル役の石橋くんの歌が最高に良かった。色々もやもやはしてるけれど、音楽と歌が良すぎて、字幕見に行こうかは真剣に迷っている。
英語版のお声も映画館で聞いてみたい。