シン・ゴジラは原点回帰とヒューマンドラマだったという話。
今週のお題「映画の夏」
シン・ゴジラの「ヤシオリ作戦」!?のヤシオリってどういう意味!?日本の神話が元ネタ!? | Love・Lion・Life
とっさにそんな言葉が出たのか、前から考えていたのか、ちょっと次見た時にどんな演技しているか、確認したいと思います。
音楽も、とてもよかったです。初めて爆音でも観てみたい、と思いました。冒頭に書いたように、私は音というものが苦手で、花火や雷のような「破裂音」に無意識に体を硬直させてしまいます。
なので、爆発音が激しいと物語に入り込めないんですが、全体的に音楽はクラシカルなんですね。なので、とても聴き心地が良かった。大変申し訳ないことに私はエヴァ未履修組なんですが、聞くところによれば、そういうクラシカルな音楽は「らしい」ですね?
パンフレットに、エヴァの音楽を使ったとあり、確かに聞き覚えのある音楽もありましたが、耳馴染みがよく物語に集中することができました。
登場人物たちについて。
主人公格は矢口なわけですが、これはゴジラを通した群像劇としてみるほうが良い気がします。その中で目立つのが、矢口。理想主義の官僚。「政治家は、敵と味方がはっきり分かれるところが良い」という彼の砕けた笑顔が良かった。
非常に「キャラクター的」な人物ですが、ゴジラという架空に対抗する有象無象の人間たちを描くには、はっきりとキャラ分けしなければいけないだろうし、人間関係を描く映画ではないのだから、わかりやすくて好きです。
最初の閣僚会議で、なかなか進まない官僚主義にいい感じにじれることで矢口に感情移入できましたし、けれど「はっきり口にしないと国民は安心しない」と主義を持った総理も良かった。
某女性知事をイメージしたのでは、と思われる花森防衛大臣も良かったですね。それぞれの立場、考えがはっきり口にされ、その中で総理が吟味する。
「国民に自衛隊が銃を向けるわけにはいかない」
あとから考えれば、そのために多くの人間、自分も犠牲になったわけですが、今後ゴジラが在り続け「非常事態」が常態化した時にも、自衛隊が国民に銃を向けてはならない、という主張が感じられて、とても良いシーンでした。
それで、結局閣僚ほぼ全滅になってしまうんですけどね。
石原さとみのカヨコも最高でした。「英語がヘタという意見も聞く」とツイッターでまわってきましたが、私が見る限りそんなにない、かな?
私は英語の、例えば日系移民らしさや中華系らしさ、州ごとの違いはわからないので、USAの自立した女性政治家、のイメージに合致すると感じました。基本的には日本語が使えるのに、発音が巻き舌になったり、言葉が出てこなくて流暢な英語が出て来るの、あるあるだと思ってる。
「武器とするために体のラインを出した服を用意したので、ご飯をちゃんと食べられなかった」というインタビュー記事を読みましたが、本当に、露出度は少ないのにきっちり体のラインを魅せる服装、本当に格好良かった。ピンヒールも、非常事態の時には履いてないはず(たぶん。二回目に確認したいと思います)で、それでも踵のある靴を選ぶところとか。だいすき。
カヨコの決断も、もちろん祖母の国に核を落すわけにはいかない、というのも本音だと思いますが、しかしおそらく政治的判断も入ってますよね。あそこでは切り取るように、米国高官という「薬指に指輪をつけた人物」が、自分の政治生命を賭けて日本の決断を支持してくれています。そこにカヨコが手を重ねるシーン、本当に良かった。
でも、これ、小説だったら裏描写もあったでしょうし、スーパーコンピュータを日本に提供するシーンで女性の教授?が「人間を信じましょう」というのも、もうちょっと細かく描かれていたかもしれない。
けれど、この話は、「人間が人間を信じられるか」という話でもあり、ゴジラを倒すための最適解に向けて爆走する話です。少なくとも、私はそう理解しています。
マッドマックスでもそうでしたが、足手まといがいない。誰もが、同じ目的を持ち、共有し、それに向かって突き進む。
政治的主張が激しい、という評も読みました。私はそこまで激しいと思いませんでした。自衛隊と政治家が出てくる中で、ある程度政治をどう見せるか、は決めなければぶれると思いますし、結論として「ゴジラを倒すor日本および世界が破壊される」であれば、破壊されるエンドロールを避けるためには、政治家も自衛隊も一丸とならなければゴジラを倒せませんでした、は筋が通っていると思います。
それこそ、自衛隊だけで倒せました、地球防衛軍が倒しました、迫害されたミュータントが、未知の怪獣が、どんどん絵空事になり、この物語の主軸である「虚構VS現実」ではなくなってしまいます。
そして、その現実が「日本」でもあり、「世界」であった、と私は思っています。政治的に理想的に描かれているとも思いますが、USA、フランス、他の国々も「より良き手段の最適解」を選んでいました。
日本の凍結手段がなければ、核を落すのは対ゴジラとしては最適解でしょう。ゴジラ研究がさらに進んでいたアメリカです、きっと日本が考えていた飛翔の可能性にも気づいていた。
最後のゴジラのアップのシーン、あそこで人型とも飛翔ともとれない形状への進化が見られました。色んな意見があるようで、人型が有力なのかな?と思います。
「種の保存を考えれば、別個体を生み出すのでは」とは友人の意見ですが、人型か何かはわかりません。しかし、完全生物で、プログラムによれば「外敵が存在しないため耳などの形状は不要」とあったので、初めて個体として危機を感じたのであれば、新しい個体を生み出す可能性は高いと思います。
今回のゴジラは、傷だらけになりながら自己成長を続ける生き物です。このゴジラと牧博士の関連性は、もうちょっと考えたいし他の人の意見も読んでみたい。牧博士こそがゴジラでは、というフセッターを読んだときはすごい、と素直に思いました。人間を取り込んだような、とはプログラムでも書かれているところです。
ただ、どのような形で「核に耐性をもった深海魚」を持ちだしたのかは謎ですし、それこそ、その深海魚を食べたのかな…科学的には荒唐無稽であっても、「それらしい」理論を、この作品はつけているのではないかな、と思っています。
そういえば赤坂さんにも尾藤さんにも、塚本准教授についても触れてない。尾藤さん、最高に好きなタイプです。感情をほぼ見せずに理論を述べ、反論し間違っていたら代案を出す。だからこそ、最後の小さなぎこちない笑みのアップが印象に残りました。
赤坂さんは、竹野内豊がもともと好きなので…でも恋愛ドラマを見ることが苦手でだいぶ疎遠になってましたが、相変わらず良い声と演技をされると思いました。役どころもにくい、最後の「里見さんだよ」からの里見大臣代理の、90度の礼。本当に良かった。里見大臣代理が本当に良い……
自衛隊の戦いや、メディアの使い方、色々思う所はありますが、二回目観てからかな。
自衛隊の方々も本当に格好良いんですよねぇ。ヤシオリ作戦の前に、自衛隊で「駆除」(この言葉の使い方も好き)しようとして、失敗なのですから壊走してもいいわけですが、きっちり仕事として「撤退」している。そして、それを受けて、大臣が総理に報告する。
仕事できる、名もなき人たちが、本当に格好良い。
宮崎駿のインタビュー集の中で、宮崎監督が庵野監督に対し、「自分の知っている人間以外は嫌いだ、いなくてよい、だから画面に出さない」と評していたことがあり(「風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡」)、私は庵野監督の作品をエヴァの周りの評判くらいでしか知らなかったので、「そういうものを撮る人なのかな」などと勝手に思っていたんですが、ぜんぜん、そんなことなかった。だいぶ時間が経っているからかもしれませんが。
「群像としての人間たち」が、ここで、一生懸命やって、そうして、ゴジラに対応することができる。人間賛歌の物語でもあると思います。
2.二回目に個人的に注目したいところ